Apr 23, 2018

トニオ・クレエゲル - トオマス・マン



打ち明けていえば、トニオはハンス・ハンゼンを愛していて、すでに多くの悩みを彼のためになめて来たのである。最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ──この素朴でしかも切ない教えを、彼の十四歳の魂は、もはや人生から受け取っていた。そして彼の性質として、こうした経験をよく覚え込んで──いわば心に書き留めておいて、そのうえ多少それを楽しんでいるのだった。
 しかしそれでも彼は幸福だった。なぜなら幸福とは──と彼は胸の中で言った──愛せられることではない。愛せられるというのは、嫌厭の念と入りまざった、虚栄心の満足である。幸福とは愛することであり、また愛する対象へ、時としてわずかに心もとなく近づいてゆく機会を捉えることである。そして彼はこの考えを心に書きしるして、それを末の末まで考え詰め、底の底まで感じ尽くした。

彼は己の行かねばならぬ道を、ややなげやりな、むらな歩調で、ぼんやり口笛を吹き吹き、首を横に曲げたなり、遠くを望みながら歩いていった。そして道に迷うこともあったが、それはある人々にとっては、もともと本道というものが存在しないからのことだった。一体何になるつもりかと尋ねる人があると、彼はいつもその度にちがった返答をした。なぜなら、彼は常にこう言っていたからである(そして実際すでにそう書きしるしていた)──自分は無数の生活様式に対する可能性と同時に、それが要するにことごとく不可能性だというひそかな自覚をもいだいている……

感情というものは、暖かな誠実な感情は、いつも陳腐で役に立たないもので、芸術的なのはただ、われわれの損なわれた、われわれの技術的な神経組織が感じる焦燥と、冷たい忘我だけなのです。われわれは超人間的でまた非人間的なところがなければ、人間的なことに対して妙に遠い没交渉な関係に立っていなければ、その人間的なことを演じたりもてあそんだり、効果をもって趣味をもって表現したりすることはできもしないし、またてんからそんなことをしてみる気にさえもならないわけです。文体や形式や表現なんぞの天分というものがすでに、人間的なことに対するこの冷ややかな贅沢な関係を、いあや、ある人間的な貧しさと寂寥とを前提としています。何しろ健全な強壮な感情というものは、何といっても無趣味なものですからね。芸術家は人間になったら、そして感じ始めたら、たちまちもうおしまいだ。

 世の中には、僕が認識のむかつきと名づけているある物があります、リザベタさん。それはね、人間が一つの事柄を見抜きさえすれば、たちまちもう死ぬほど胸が悪くなる(しかも決して宥恕なんぞできる気持じゃない)という状態です

認識と創造苦という呪いを脱して、甘美な凡庸のうちに、生き愛し讃めることができたらなあ。……もう一度やりなおす? しかしそれはなんにもなるまい。やりなおしたところで、またこうなってしまうだろう──いっさいは、今まで起こって来た通りにまたなってしまうだろう。なぜといって、ある人々は必然的に道に迷うのだ。彼らにとっては、もともと本道というものがないのだから。

僕は二つの世界の間に介在して、そのいずれにも安住していません。だからその結果として、多少生活が厄介です。あなたがた芸術家たちは僕を俗人と称えるし、一方俗人たちは僕を逮捕しそうになる……どっちのほうが僕をより烈しく傷つけるか、僕は知らない。俗人は愚昧だ。しかし僕を粘着質で憧憬のない人間と名付ける、あなたがた美の崇拝者たちは、こういうことを顧慮してはどうですか。──世の中には凡庸性の法悦に対する憧憬を、ほかのいかなる憧憬よりも、さらに甘くさらに味わい甲斐があるように感ずるほど、それほど深刻な、それほど本源的で運命的な芸術生活があるということを。


20世紀ドイツを代表する作家の一人、トオマス・マンの1903年発表の今作。ノーベル賞受賞のきっかけとなった「ブッデンブローク家の人々」と、かの名作「ヴェニスに死す」の間に書かれた短編ですね。
「愛されるのは幸福なことなんかじゃなくて、虚栄心を満足させるのに役立つのがやっと」「ある人びとは必然的に道に迷うもので、いろんな可能性があるように思うときもあるけど、反対に何にも可能性がないようにも思えてくる」。誰もが心に抱いていたようなことをズバッと表してます。甘酸っぱい懐かしさを感じること請け合いです。

読みながら思ったのが「”ウェルテル”っぽくね?(よりねっとりしてるけど)」だったんですが、訳者あとがきにそのまま書かれてました。
「誰でも一生に一度は、まるでこの”ウェルテル”が、じぶんのために書かれたのだと思われるようなときがなかったとしたら、それはよくないことだろう」と晩年のゲーテは弟子の一人に語っている。トオマス・マンもまた、これとまったく同じ権利を持って、一九〇三年、作者二八歳の年に書き上げた自作の『トニオ・クレエゲル』について同じ言葉で語ることができるであろう。
同感です。訳者の実吉晴夫のあとがきも、短いですがうまくまとめられていて良いですね。

しかし…、浜川祥枝とかいう実吉氏の教え子が最後に至らんこと書いてますねー。「トニオのハンスへの愛は『同性愛』!『ヴェニスに死す』ではそれがより顕著に描写されてる!そういえば、マン自身も同性愛者だったんですってね!」とか言って水を差してんの。本作の解説にそれは要らんでしょ、絶対。
実吉氏のあとがきまでで充分解説されているので、最後の「解説」は無視しましょう。

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